まったくイメージと違った告知の話

恐怖のマンモトーム生検から数週間。

とうとうやってきた、待ちに待ったような、そうでもないような、思い出すと胃が少しきゅっと痛くなる、診察イコール検査結果の判明する日。

この日は姉に付き添って貰った。既婚の姉はわざわざ他県から上京してきてくれた。
この後も、事あるごとに付き添ってくれた姉と、快く送り出してくれた義兄に、心から感謝を。お世話になりました。
前日の試験の疲れを残したまま、私は電車に揺られ病院へと向かった。

姉は私に、大丈夫、絶対に癌じゃないと励ましてくれたけれど、それまで黙っていた、自分が癌である確率を伝えた。
覚悟をしておかないとショックを受けさせてしまうと思ったからだ。

「5割・・・」

すると、姉は呟いたまま黙ってしまった。
「5割って、野球界にいたらスター選手だよね」と明るく言ってみる。これは姉が野球好きだから。野球界の5割については全くイメージができない。っていうか実際いなくない?

「確かにそうだね。イチローだってそこまでは、ね」

「そうそう、ほら、降水確率も50%以上あったら傘持っていくしね」


よくわからない例え話をしながら、自分達でもよくわからないテンションのまま、ミーコ先生のいる病院へ向かった。

外来の受付を済ませると、割とすぐに名前が呼ばれた。診察は予約制だけれど、それはあくまでも目安で最長3時間待ちの時もある。まあ、待ち時間は「ミーコ先生」なだけに、ディズニーランドのアトラクション待ちだと思えばなんとかなるけれど、流石に今日の精神状態では辛かった。

いつも通りノックをした後、失礼します、と言いながら診察室に入る。今回は姉も同席させて欲しいとミーコ先生に告げた。

「いつも妹がお世話になってます」

「いいえ、お姉さんですか」

挨拶を済ませると、先生はこちらへくるりと向き直った。表情はにこやかで、前回と何ら変わらず、心のうちまでは読めない。一瞬、大丈夫だったのだろうかと思った。そのくらい普通だった。

「検査の結果ですが、手術の必要があります」


ミーコ先生のはっきりとした第一声。
私の淡い期待は一蹴された。その一言で充分に理解した、私は癌だ。

「残念ですが、悪性のものが見つかりました。でも、手術をすれば大丈夫だからね。怖くは無いよ」

この時、先生は一度も『癌』という言葉を使わなかったことは印象に残っている。だけど、とてもわかりやすく、病気と状況について説明をして下さった。最初の一言で理解していた事もあり、不必要に心が乱れる事はなかった。

「MRIの結果からすると、さほど広がりは大きくはないと思うよ」

「そうですか」

「詳しくは手術をしてみないと言えないけど、進行も遅いタイプだね」


だからといって油断は出来ないけれど、とミーコ先生は続ける。ミーコ先生は私の顔をじっと見ている。私も先生を見つめ返した。

それは、よくドラマなどで見かける「告知の瞬間」とは全く違っていた。所謂、『貴方は癌です』『せ、先生そんな、嘘でしょう!?』といったやりとりは無い。頭が真っ白になる事も、涙が出る事もない。

それは先生の話し方は勿論のこと、予め癌である確率から覚悟をしていたこと、初期である可能性が高いこと、色々と病気について勉強するうちに、早期発見なら、乳がんは比較的予後がいいと、認識していたからというのもあったと思う。ただ、それが自分に当てはまるか、正しいかどうかはまた別として。


前日の試験ハイの反動もあって、この時は冷静でいられた。何より、背後にいる姉の存在も大きかっただろう。

「年齢的に、手術にあたって大きな問題はないと思うので、先に日程決めちゃいましょう」

私は持ってきていた手帳を開こうかと鞄に手を伸ばしかけ、直ぐに戻した。命と引き換えにするような出来事や仕事など、今後一切、私にはないと決めた。

「いつでも大丈夫です、お任せします」

「んー、じゃあ7月のこの日か、この日かな。確定したら事務から電話させるね」

「わかりました」

「どうする、日帰りでも出来るけど?」

日帰り。日帰りだと局部麻酔での手術になるそう。
MRIの結果によると、病巣は2.8cm程度。リンパへの転移も見られないので、病理結果で浸潤していたら、後日また改めてリンパの方は触るらしい。ミーコ先生の話によると、このくらいだと日帰りで受ける人もいるそうだ。
ただ、私はマンモトームでも脇汗MAXになるチキンっぷり。意識がある状態で手術など、とても耐えられそうもない。想像しただけで気が遠くなる。チキンの名に相応しい見事な「よわわ」っぷりは今日も健在だ。
それに、何といっても手術なので万が一という事もある。
入院して万全の体制で診て貰った方がいいのではないかと考えていた。


「入院でお願いします」

迷いはなかった。こうして日帰り手術ではなく、入院して全身麻酔の手術をする事になったのだけれど、この判断は大正解だった。

「そう、じゃあ個室がいい?細かいことは事務手続きになるんだけどね」
「個室がいいです。無理だったらどちらでも」


さくさくと術前の検査日程が決まっていった。細かい言葉は覚えていないけれど、手術は温存でいけるだろう、という先生の言葉にほっとした事は覚えている。温存の場合は放射線治療を受ける必要があるということ、その他、手術についての細かい説明やリスクを説明された後、プリントアウトされた紙に署名をした。


前日の試験では緊張で文字が震えてしまったけれど、この時は震えずに名前が書けた。
普通、逆だろうと思うかもしれないけれど、案外そんなものだったりする。

「頑張りましょう」

「はい、よろしくお願いします」

正直、何をどう頑張ればいいのかは私には良くわからなかったけれど、
先生と握手を交わして診察室の扉を閉めた。ミーコ先生の仕事は、一般人には想像がつかない強靭な精神力が必要な仕事なのだろうと改めて感じた。

その日病院を出たのは、色々な手続きや今後の説明や予約、血液検査や血圧測定を終えた後だったこともあり、正午をだいぶ過ぎてからだった。

「何か食べて帰る?」

「どうかな~、お姉ちゃんは?」

「んー、どっちでもいいよ」

久しぶりに上京した姉は、何か美味しいものでも食べたいね、と昨夜は話していた。それがこんな結果になってしまい、申し訳なく思う。ごめんね。

「ごめんね」
「大丈夫。これから大変かも知れないけど、家族みんないるし、私も手術の時はまたこっちに来るから、大丈夫だよ」

「ありがとう」
どうやら、姉は私が色々な検査をしている間に、家族に結果を話してくれていたらしい。

『私、乳がんだった』と、自分で両親に告げずに済んだ事に、ほっと胸を撫で下ろした。嫌な役をやらせてしまって、ごめん。

「ごめんね」もう一度謝った。

「いいよ、それより家で何か食べようか」

「そうだね」

私達は評判のお店にも、デパ地下にもよらず、まっすぐに帰宅した。

上司には結果が出たら連絡すると伝えておいたので、帰宅してから上司の携帯電話に直接電話をかけた。
待たせてしまっていたのだろう、すぐに繋がった。聞き慣れた声はいつもより興奮しているように思える。

「ちょっと待ってて」

電話口から伝わってくる、いつもの職場の喧騒が少し遠くなる。周りに人がいない、どこか落ち着いて話せる場所に移動してくれたのだろう。

「はい、いいよ。どうだった?」

「結果的には手術が必要になりました。7月のこの日かこの日で、
 しばらくお休みを頂くことになりそうです。申し訳ありません」

「そう、それは病気だったって事?」

「はい。詳しいお話は明日直接致します。ご迷惑おかけしてしまいすみません」

もういいから、上にはそのように伝えておく、今日はゆっくり休め、その言葉に感謝を伝えて電話を切った。

その夜。私の家に泊まった姉の後ろ姿は、心あらずというか、テレビを観ているようで観ていない、そんな様子だった。お風呂に入る時、洋服を脱ぎ、鏡に写った左胸をじっと見つめる。癌。乳がん。まだピンと来ない。
この胸に癌細胞があるという。悪性。

昼間の先生とのやりとりを思い出しながら、体を洗い終えると湯船に沈む。
見た目では全くわからない、痛みもしこりもない。いつもと同じように見えるのに、乳がんだという。

「乳がんか・・・、そっかぁ」

再び胸を見つめてみたものの、涙は出ない。繰り返しになるけれど、私は未婚で出産経験もない。
だからこそ、他の人より乳がんのリスクは高かったのだけれど、左胸とこれからの事を思うと悲しくなった。


仕事でもプライベートでも、負荷をかけてしまった事があったので、乳がんになっても仕方がないという諦めの気持ちと、仕事はどのくらい休めるだろう、この胸はどうなってしまうのだろう、という不安な気持ちが交錯する。


お湯の中で左胸にそっと触れてみる。柔らかくて丸い、あたたかかい感触を掌に感じる。そりゃあ、そんなに大きい訳でもないですよ。ささやかなものですよ。日々、重力との闘いの真っ最中、それでも。感情に呼応するかのようにお湯が跳ねた。

なぜ、なぜ、なぜ。

数秒前に心に思ったばかりだ、望んだわけではないけれど自分で負荷をかけてしまった。なのでこれはもう仕方がない。暴走して止まらなくなりそうな感情と、感傷を振り切るように明日の事を考える。そうそう、産業医の先生にも説明しないといけない。明日も多分、今日ほどではないけれどそれなりに長い一日になりそうだ。

お風呂から上がり、ふとスマホに目をやると、黄緑色の点滅が私を呼んでいる。妹からのLINEだ。姉から事情を聞き、心配して送ってくれたんだろう。いつも可愛いキャラクターのスタンプが沢山送られてくるのに、今日は一つもない。


「降水確率だと、50パーセントは結構高いよね」と話していたけれど、私には傘は必要だった。髪の毛から、水滴が首筋を伝っていく。

手術まで約3週間。
乳がん検診を受けてから癌と確定されるまでは、1ヶ月と少しだった。

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