検査結果が出るまでの数週間。
私の場合、乳がんの可能性は50パーセントくらいで、降水確率50パーセントなら、雨が降っていなくても折り畳み傘を持って出かける。
会社の検診時にひっかかったので、産業医に報告しなければならず、(振り返ると、これがとても有難かった)
また、検査でお休みを何日も貰っていた関係で、伊勢丹大好き上司には結果が出る前の段階で、結局、病気の疑いがあるということを報告した。
どこまで話すかを悩んだのだけれど、「ちょっと、病気かもしれないので時々検査でお休みいただきますね」と伝えた。
勿論、癌の確率が50パーセント以上ということは隠したまま。後になってわかったのだけれど、上司の身内も過去、癌に罹っていたので、状況について理解して頂けたことも、恵まれていたと思う。
そんなこんなで通常業務をこなしつつ、空いた時間には念の為、引継ぎマニュアルと数か月分の資料を作っていた。
仕事で嫌なことがあると、憂さ晴らしのように作っていたマニュアル。何度もアップデートされた結果、過去何年か分の鬱憤が反映され、完成度が高いものとなっていると自負している。
いつか会社を辞める時に役立てばと思っていたそれが、その前に違う形で役に立つかも知れないのだから皮肉なものだ。
ちなみに私は財務をしている。医学における数字と、企業会計の数字に性質の違いはあるだろうけれど、5割がどのくらいのものなのかは理解していたつもりだ。頭では。まあそれでも、自分のムネ、乳がんかもしれないということとなるとやっぱり気持ちの方は追い付かない。
そして差し迫っていた試験。何の因果か、試験の翌日に検査結果がわかるという鬼日程になってしまった。
数年単位で勉強してきた試験がもうすぐだというのに、問題が頭に入ってこない。根気がなくなり集中が続かない。一問解くのがなんとかという状態だ。気もそぞろになり、長い試験に耐えられる精神力がなくなってしまっていた。
「今回、どうしよう」
弱気になると、診察で試験を受けていいか訪ねた際、ミーコ先生の言葉を思い出す。先生はいつものように笑みを浮かべて私にこう告げた。
『試験、絶対に受かってください』
そう、何度目かの診察で私は先生に訊ねていた。検査まで体調を万全にする必要があるのではないかと思ったからだ。流石に、今回は試験をパスした方がいいのだろうか、と思いその事を先生に伝える。
「そうですか、試験ね。うーん・・・」
少し首を傾げるミーコ先生。今回は辞めてくださいと続くと想像していたら、
「絶対に受かってくださいね」と、ミーコ先生の満面の笑みがすぐ近くにあった。
絶対にって!プレッシャーかけないで!っていうか、それなりに難易度の高い試験なんだけど!
その一言で思い切り笑ってしまった。そう、久しぶりに笑った。
ああそうか、まだまだ人生は続いていく、そういう事を先生は言いたいのだ。
百戦錬磨のミーコ先生は私の顔を眺めながら、ずっとにこにこと微笑んでいる。
緊張を解す為、ユーモアのある人は大好きだ。私の第一印象は間違っていなかったと確信した。
人生は続いていくものだ、と励ましてくださった言葉が私を奮い立たせた。受けるだけでも受けてこよう。もういっそ、記念受験でもいい。今回が難しくても次回に、次回があるのかもわからないけれど、この経験は活かせるはずだ。自分にそう言い聞かせながら参考書を捲っていた。
そして、迎えた試験当日。連日の睡眠不足と緊張のあまり下痢になり(プレッシャーに超弱いタイプ)お腹に優しいうどんを食べてから会場へと向かった。
話が逸れるが、うどんはお友達で、もう親友といってもいい。うどんは風邪の時も食べられるけど、ラーメンだと体調が悪い時は辛い。お蕎麦は健康にいいけれど、いささか消化が悪い。パスタは論外。
これから一生、一種類だけの麺類を食べるなら私は「うどん」を選択する。などという、ありえない仮定の話をランチ仲間で繰り広げるのもOLの嗜みの一つ。
どうでもいい、害のない話をして無難に過ごす事が会社では大切だ。他にも「宝くじがあたったらどうするか問題」などもあるが、その場にいる誰一人として宝くじを購入していないのもあり、割愛する。勿論病気の話は誰にもしていない。
話を戻して、この数週間のトータルの勉強時間は10時間程度。試験直前期にしてはとても少ない。半日以上かけて演習問題を続けて解く体力と精神力は既になかったので、最後の最後までとっておくことにした。
そう、ジブリで言うならば、「もののけ姫」でモロが対エボシ戦に備え、最後に体力を温存していたようなイメージ。そのくらいギリギリだった。
そうこうしているうちに、当日となり、試験会場に着く。
自分の受験番号を何度も確かめ、指定された座席についた。パラパラと過去問と要点を纏めておいたノートを見直す。そうこうしていると、斜め前の席に車椅子の男性が入ってきた。年齢は、その教室の中では最年長だと思われる。付き添いの女性はおそらく奥様だろう。
この試験には年齢制限こそないが、ある程度レベルが必要なので実質的な制限はある。男性と奥様は何かを話した後、奥様はまた後で、と教室から出て行った。
二人の様子を眺めていたら、急に自分が小さく思えて、とても恥ずかしくなった。今、ここにいる誰よりも自分は大変だくらいに思っていたからだ。自分よりもっと上の年代で、何かを抱えたり、闘いながら試験会場に来た方がいる。
私は独りで、自分の足で会場まで来る事が出来る。お腹が激しく下っていたけれどそれ以外は通常だ。
その方がどうこうではなく、自分の状況が当たり前だとは思ってはいけない。教室全体に目をやると、空席が一つ、二つ。何かしらの事情でここに来られない人だっているのだ。
もし、試験の日程と検査結果の日程が逆だったらどうだろう。
私はこの席に座れただろうか?
少し古びた椅子から軋んだ音が鳴る。
確かに精神的に辛いものがあるけれど、鬼日程ではなく、結果によっては・・・そんな私の思考を遮るように、静かにドアが開いた。試験官が入ってきて用紙が配られ、お決まりの注意事項が読み上げられている。
明日、癌かどうかがわかる。
それは自分にとってはとても大きな事、分岐点だ。だけど、今この瞬間だって私の分岐点の一つには違いない。
何年も勉強してきた。朝早く起きて出勤前にカフェに通って勉強した。それこそ、睡眠時間を削って取り組んできた。
勉強のつもりが、完全に睡眠時間の延長になった時もあった。(これ結構多い)お店に通ううちに常連となって、言葉を交わすようになった店員さんもいる。
試験だと話したら励ましてくれた。いつもの席、いつものメニュー、ああ、本当にここまで長かったなあ。これまでの時間を闘わずして無駄にするなんて、自分には考えられない。
明日は明日。今は目の前の問題に集中しよう。それでミーコ先生に試験をちゃんと受けたことを報告したい。
答案用紙に自分の番号と名前を書く。少しだけ文字が震えていた。大丈夫、出来るはずだ。冷静に、平静に。
「それでは、始めてください」
試験官のその声を合図に、試験問題が捲られる紙の音が教室にザっと響き渡る。焦らない。まずは問題全体を見ること。点数が取れる問題を落さないこと。すぐに手は動かさず、全体的な時間配分を考える。余白に目安のメモをする。
問題を眺めながら思う。ここにきて、もしかしたら運がいいかも知れない。
ざっとみたところ、割と得意とする種類の問題のようだ。顔を上げる。先程の斜め前の男性の背中に、お互い頑張りましょうと話しかけ、手を動かした。情熱を持ってなんとか答案用紙は全て埋めた。
この時の試験はというと、神様が味方してくれたのか、無事に合格していた。結局、仕事や手術でバタバタしてしまい、ミーコ先生に直接報告する機会はなかったのだけれど、その年賀状に「試験に受かりました」と短く書いた。
ミーコ先生の言うとおりだった。あの時に投げ出さす、病気を言い訳にしなくて本当に良かった。
これは私の中で、ちょっと誇らしい出来事だ。そして、相変わらずうどんとは固い絆で結ばれているし、ラーメンもパスタもお蕎麦だって食べる。
パスタ、論外なんて切り捨てて悪かった。トマト味の君は愛している。ランチの時間にどうでもいい話題で盛り上がる日常も、それほど悪くはない。
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